子音・母音システム

デジタルシンセの夜明け、
1980年発売の『カシオトーン201』に
搭載された画期的アイディア

2020年はカシオが電子楽器をスタートして40周年となるタイミングでした。これまでカシオでは画期的なデジタルシンセサイザーを次々と生み出し、音楽シーンにも大きな影響を与えてきました。今でこそ、デジタルシンセサイザー=PCM音源という形で落ち着いてしまっていますが、発展途上だった1980年代には、各電子楽器メーカーの音源方式と切磋琢磨しながらデジタルシンセの世界を盛り上げてきました。

その足跡は、東京・成城にある樫尾俊雄発明記念館に行くと見ることができます。ここにはカシオの計算機の歴史や腕時計、電子辞書の歴史と並んで、シンセサイザーの歴史も数多くの機材が展示されているのです。いずれもデジタルシンセサイザーなのですが、現在と比較するとコンピュータ処理がとてつもなく遅く、メモリ容量も小さく、そして高価だった時代に開発し、製品化したもの。そんな時代だったからこそ、さまざまなアイディアとともに、新しい音源が生まれてきたのです。ここではカシオが最初に作った「子音・母音音源システム」=『カシオトーン201』について紹介していきます。

計算機の会社であるカシオが、なぜ楽器メーカーになったのか、不思議に思う人も少なくないと思います。もともとカシオは忠雄・俊雄・和雄・幸雄の樫尾四兄弟で設立し、大きくしていった会社です。それぞれ得意分野が異なり、開発は発明家でもある次男の俊雄が担当、財務は長男の忠雄、営業は三男の和雄、そして生産は四男の幸雄が行う形で、分担しながら強い結束力で協力しあって、会社を発展させてきたのです。その開発者である俊雄は音楽好きで、オーディオも大好きだったのですが、「演奏が難しい楽器も自分の手で奏でたい」という想いから、電子楽器を手掛けるようになったのです。その最初が子音母音システムを搭載した楽器でした。

発明家である俊雄の着眼点は 、楽器音はアタック部(音の出始めの数十~百ミリ秒)が音の特徴を決めるということにあったのです。そこに持続音部分をつなぎ合わせて発音させれば、さまざまな音が作れるはずだ、と考えたのです。人間の言葉の発音は「子音+母音」で構成されるから、アタック部が子音であり、持続部分が母音。だから「子音・母音音源システム」というわけです。

この考え方は、後に他社製品でも取り入れられていきましたが、俊雄がこのアイディアを思いついた当初はまだメモリが極めて高価であり、特許的にもナーバスな時代だったので、百数十ビットのメモリしか持たせることができませんでした。そのため波形は十数ステップのぎざぎざしたもので、この波形をエンジニアが1ステップずつプログラムして楽音の特長を表現するという、今では考えられない職人技を駆使していました。音響工学に携わっていた人からみれば「なんて無謀なことを…」と思ったに違いありません。

ちなみに、今日の電子楽器に搭載される楽器音は最低でも数十キロバイトであるとすると、その1000分の1のオーダーの波形メモリサイズだったというわけです。対外的には子音・母音システム と呼んでいますが、当時、開発部内では2つの要素を組み合わせた音源方式なので、「αβ方式」と呼んでいました。

開発着手の発端は、電卓や時計で培ってきたデジタル計算技術をコンシューマ化していくこと。この技術を、新たなビジネス分野に応用するべく、樫尾俊雄が発想した楽器への応用を目指しプロジェクトチームを発足させ商品開発が進められたのです。デジタル音源システムに必要とされるのは、発想した音源システムを動作させるための、デジタルLSIの回路設計。今ならばCADを使って設計するのが当たり前ですが、当時は膨大な回路をすべて手書きで設計していました。方眼紙に手書きしていくため、デジタル回路設計者には絵心も求められていたのです。

そうして、ようやく1980年に子音・母音音源システムとして完成し、発売されたのが、カシオで最初の電子楽器製品となったカシオトーン201です。ときは、まさに電子楽器のデジタル化前夜。当時あったアナログシンセサイザーはコンシューマ化には不向きでした。やはりアナログ回路は電圧や温度の変化によって、ピッチなどに影響を及ぼすため、とにかく不安定。またアナログシンセサイザーは基本的にモノフォニックであり、和音を出すにはその和音数分の回路を並列に並べるとともに、それらを制御する必要があるので、非常に大規模な回路となり、コンシューマ製品にすることができなかったのです。そうした背景があるなか、登場したカシオトーン201はアナログシンセサイザーとはまったく異なるアプローチであり、画期的なものでした。

音源回路をデジタル化することにより、温度や電圧に左右されにくい安定した音源システムが実現することが可能となり、電子楽器のコンシューマ化という意味ではとても有利だったのです。それに加えポリ数を増やす場合、たとえば4ポリの音源の場合は、アナログ音源システムでは4つの音源回路を並べる必要があったわけですが、デジタル音源では時分割多重化(TDM:Time Division Multiplexing)という技術を使うことにより、ひとつの音源回路であっても複数の音を出すことができるのです。つまりポリ数分の音源動作を極めて短い時間(マイクロ秒あるいはナノ秒単位)で順番に行うことが可能となるので、回路規模も小さくすることができました。

電子楽器のデジタル化がもたらした恩恵は、回路の安定性、省電力、小型軽量化、音色のバリエーションの多彩さだけではありません。それらよりももっと大きな意義は、誰でも手の届く価格で和音演奏ができるキーボードが作られたことだったのです。1980年に発売されたカシオトーン201は当時の価格で97,000円。この価格でさまざまな音が出せて、和音が演奏できるキーボードが発売できたというのは、ある種の革命でした。そして、このカシオトーン201を皮切りにカシオの電子楽器の歴史がスタートしたのです。

この音源を使用した楽器例

Casiotone 201(1980年)